读童话学日语之牵牛花
这一周我们要学习的是关于牵牛花的故事,因为是早上才绽放的花,所以日语中将牵牛花叫做“朝颜(あさがお)”。 朝顔 牵牛花 むかしむかし、江戸(えど→東京都)に、岡田弥八郎(おかだやはちろう)という侍(さむらい)が住んでいました。 很久很久以前,有一个叫做冈田弥八郎的武士住在江户(现在的东京都)。 弥八郎(やはちろう)には、ただ一人の娘がいて、その名をしずと言います。 弥八郎只有一个女儿,叫做静。 しずは朝顔の花が大好きで、十四才の時に朝顔のつぼみを見つけて、こんな歌をつくりました。 静非常喜欢牵牛花,在她14岁的时候看到牵牛花的花蕾,作了一首这样的歌: ?いかならん ?色に咲くかと ?あくる夜を ?まつのとぼその ?朝顔の花 (歌词大意:静待漫夜长长,门扉朝颜朵朵,绽出何种颜色) 父はこの歌をたんざくに書いて、妻に見せました。 静的父亲将这首歌写在诗笺上,拿给妻子看。 「あの小さな胸に、どんな色に花が咲くであろうと、次の朝を待つ心じゃ」 「はい、まこと素直に、うたわれております」 “这是说的她自己激动地等待着下一个清晨的心情呀,她该有多想知道那个小小的花朵里会绽放出什么颜色的花儿呀。” “是呀,这孩子就很直接地表达了自己心情呀。” ところが娘のしずは、この年の冬にかぜをこじらせて、そのまま死んでしまったのです。 但是,他们的女儿静,在这一年的冬天因为感染风寒,就这样去世了。 残された父と母は、とても悲しみました。 留下他们两人,十分悲伤。 さて、夏も近いある日の事。 很快,到了夏日的某一天。 母が何げなく娘の手箱(てばこ→小物入れ)を開けてみると、中には小さな紙包みがいくつも入っていました。 母亲无意中打开了女儿的小箱子,发现里面有几个用纸包好的小包儿。 そしてどの包みにも細いきれいな字で、桃色、空色、しぼり(→青色の一種)、などと、色の名が書きしるされていました。 而且每个小包的上面都分别用又小又整齐的字写着粉红色、天蓝色、青色等颜色的名字。 一色ずつ紙にていねいに包んだ、その色の朝顔のタネです。 每一种颜色的纸都包着该种颜色的牵牛花种子。 (ああ、娘はこのタネをまいて、それぞれの色の美しい花の咲くのを、どれほど見たかった事でしょう) (啊,女儿她是有多想看这些种子播下去之后,开出各种各样的花儿呀。) そう思うと母はたまらなく、せつなくなりました。「そうだわ。せめてこのタネをまいて、娘をとむらいましょう」母は庭に、その朝顔のタネをまきました。 一想到这些,母亲就很无法忍住内心的悲伤。想着“是呀,那至少要把这些种子播种下去,来纪念女儿吧。”于是,母亲把牵牛花的种子播撒在了庭院里。 日がたってつるがのび、やがてつぼみがつきました。 随着时间的流逝,藤蔓开始长出来了,渐渐地结出了花蕾。 ある夏の朝、弥八郎(やはちろう)を仕事に送り出した母は、ふと庭の朝顔を見ました。すると美しい一輪の花がパッと咲いていて、その花のそばに娘のしずが立っているではありませんか。 一个夏日的清晨,母亲送父亲弥八郎出去工作之后,突然看到庭院里的牵牛花,一朵非常漂亮的花一下子就绽开了,花朵的旁边站着的不就是他们的女儿静吗? 「おおっ。しず、しずかい?」母が思わず声をかけると、娘はうれしそうにニッコリほほ笑み、そして小さな声で、「お花を、ありがとう」と、言って、そのままスーッと消えてしまいました。 “啊,是静吗,是你吗?”母亲情不自禁地喊道,女儿高兴地笑着,然后小声地回答说“谢谢您种的花儿!”说完就一下子消失了。 夕方になって父の弥八郎(やはちろう)が帰って来た時、夕方にはしぼむはずの朝顔は、まだ美しい色で咲いていたという事です。 傍晚,父亲弥八郎回来的时候,本应该已经凋谢的牵牛花却还依旧开的很灿烂。 (我想那是在告诉她的父亲,自己一直都在他们身边吧!) (喜欢就 |
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